~お洒落をするモチベーションとは~
「たった一つ性」をもっているのは心なのに、モノサシの方をたった一つにしようとしてしまうところに、人間の混乱と苦悩のすべての原因がある。といったのは哲学者アンリ・ベルクソン
問うことよりも解決することを、自己よりも他者(あるいは他者化した自我)を常に先手に置いてしまう「現代人型ゲシュタルト」
もうすでに役割を終えているはずのこの旧式のパラダイムは、しかししつこく私達の思考様式の中に残像と《習慣》という名の影響を残し続けている。
たった一つのこころ、たった一つの人生、たった一つのリアリティを常に後退させ「あの人みたいだったら。。。」とか「あんな条件だったら。。。」など「無」を先手において考えがちな(モノサシの方をたった一つにしてしまう)思考グセに気づかないかぎり人間の混乱と苦悩というパラダイムから決して抜け出すことができないとベルクソンは言う
お洒落をするということのモチベーションを極端に表現すると
「誰かに逢うからメイクやお洒落を入念にする」
「誰にも逢わないからメイクもお洒落もしない」
一見、一般通念のように認識されていそうなこの2つの概念
よくよく考えてみると?(疑問)がいっぱいだ!
みなさんはどう?だろう?どこが疑問かさっぱり?な人は
「人間の混乱と苦悩のパラダイム」に両足とも突っ込んでいる可能性大
これまでの普通といわれているものや自分の感覚を一度疑って「問う」てみよう
問題点のポイント
「一般化による誤解・混乱」
一般化されたモノサシ:例)日本人は、日本女性は、30代男性はなど
例えば日本人らしいという概念は同時に日本人らしくないという概念を生み出す
個性豊かな1人1人の実在ではなく1つのくくりで概念化するのは表面的な行為に過ぎないにも関わらず、それを疑いもなく「よし」としてしまっている事に気が付くことが旧式パラダイムの外に出る第一歩